ご先祖様を引き継ぎました

友吉っつぁん(義父)は、とても信心深い人でした。菩提寺である津別町の妙照寺さんとの関係を大切にしていまして、一時は総代(檀家の代表)も務めていたようです。ご先祖様を敬い、毎月10日の月参り(ご住職に、実家の仏壇にお経をあげていただく)も欠かさず続けていました。移住後は私もご一緒したことで、ご住職とも人間関係ができまして、これを引き継ぐのも重要な役割だと感じていました。

仏壇の魂抜き?魂入れ?

「魂抜き」「魂入れ」という言葉を初めて知りました。

津別町の実家の仏壇をダウンサイジングして、北見の自宅に新しい仏壇を入れようと、ご住職に相談したんですが、「魂抜きと魂入れが必要だ」とのこと。それを聞いて「????」と頭の中にはハテナマークです。

古い仏壇から魂を抜いて、新しい仏壇に魂を入れる、ってことなんですね。
すごい言葉ですね。
読経を行うことで、魂を宿らせていたご本尊やお位牌、お墓や仏壇などに対して、再度読経を行い魂を抜く儀式で、「閉眼供養(へいがんくよう)」「開眼供養」とか「お性根抜き(おしょうねぬき)」「お性根入れ」などとも呼ばれるんですって。

津別の実家の仏壇は、とても立派な歴史を感じさせるもので、廃棄はとてももったいなく感じました。
悩みましたが、かといって、北見の自宅に移設したら仏壇で部屋が一杯になっちゃいますしね。
結局、ご住職にご相談して、廃棄して手ごろな大きさのものを北見の自宅に新しく設置することにしたわけです。

魂抜きと魂入れの儀式は、普段の読経と違って迫力の独特なもので、とても新鮮でした。
文章でうまく再現ができないのが残念です。

魂抜き、魂入れの後に、家の四隅に塩を撒くんですが、とても厳粛な気持ちになりました。

新しい仏壇を気に入ってます

最初は、部屋もそんなに広くないんでと、モダンな上置きタイプ(棚の上に置くタイプ)を考えていたんですけどね。理由は、第一に価格が安いことと、コンパクトで置きやすいということなんですが・・。

しばし、悩みました。
津別町の実家の仏壇を思い起こし、そのギャップを考えました。
そして、ご先祖様の皆さんを引き継ぐという重責を考えた時に、あんまり粗末なものというわけにもいかないとも考えました。
さらには、今後鎌田家(妻の実家)の法事の際には、ご親戚の皆さんが我が家の仏壇に集まることになることも考えました。

というわけで、「モダン」はモダンなのですが、上置きではなく「直置き」のある程度見栄えのあるものを選ぶことにしました。
「直置き」というのは、棚の上などではなく、物入などがついていて床に直接置くタイプの仏壇です。

我が家のリビングに合うか、心配していました。
デザインもですが、サイズも大き過ぎはしないかが不安だったのです。

写真の仏壇がそうなんですが、置いてみるとこれがなかなかにいいのです。
綺麗な木目が映え、朝晩のお参りもとても気持ちよくできています。

御先祖様の写真立て

仏壇を北見の自宅に新しく設置するに当たって、意外に悩んだのは「ご先祖様の遺影」をどうするかでした。

実家の仏壇のそばの廻り縁に、A3版くらいの大きな額に入れたご先祖様(妻の祖父・祖母・祖祖父・曾祖母)の写真が、飾ってありました。それをそのまま移設するわけにはいきませんでした。北見の我が家に飾るには大き過ぎることと、北見の我が家は賃貸物件で額を飾るための釘などが使えないという事情がありました。

ご先祖様の写真を諦めることも頭をよぎりましたが、形は変わっても何とかして、仏壇とご先祖様の遺影を飾ることを実現したいとしばらく悩みました。

このところどうも発想力が鈍っているようで、何かと悩みがちになります。
しばらく悩んだ末、行きついたのは仏壇に合う手ごろな写真立てに、妻の両親も含めたご先祖様の写真を入れて飾ることでした。

実家の廻り縁に飾ってあった大判の写真をスキャンした上、写真立てのサイズでプリントして飾ると、これがまたとてもいいのです。朝晩のお参りの時に、ご先祖様の遺影をきちんと見つめながら、何かあった時には報告したり、語り掛けたりできます。妻も気に入ってくれているようです。

念仏と唱題

岩手の実家は「浄土真宗」で、北海道の実家は「日蓮宗」です。
お参りの際に唱える言葉を、浄土真宗では「念仏」と呼び「南無阿弥陀仏」です。
日蓮宗では「唱題」と呼び、「南無妙法蓮華経」です。
成仏の考え方が違うんですよね。
せっかくなので、二つの宗派を今、少し勉強してるんですがなかなかに面白いです。
長くなるので、そのことはまた別の時に書いてみます。

さて、浄土真宗で育って、日蓮宗を引き継ぐことになった自分は、お参りの際になんと唱えればいいのか。
う~む、またまた悩むことになりました。

しばらく悩んだ末に、朝晩のお参りの時に、念仏でも唱題でもなく「ありがとうございます」と声に出して、5回唱えることにしました。

ご先祖の皆さんがおられなければ、妻に出会うことも無かったですし、友吉っつぁんに出会うこともありませんでした。もちろん娘もこの世には存在していませんね。

どちらの宗派でもない「ありがとうございます」と5回唱える解決策は、我ながらなかなかいいと思っています。


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