2025年6月16日(月)15時10分。4年2ヶ月寄り添って来た友吉っつぁん(義父)が、帰らぬ人となりました。大きく苦しむことなく、安らかな表情での旅立ちでした。死亡診断書には「老衰」と記載されていました。こんな時に相応しくない表現かもしれませんが、最高の旅立ちだったと思います。
施設からの電話
6月16日(月)の午後、事務所で仕事をしていると携帯電話が鳴りました。
施設の友吉っつぁんの部屋のフロア担当のCさんの緊迫した声が聞こえてきます。
「鎌田さんの呼吸がおかしい。すぐに来られますか?」とのこと。
普段使うことが無いスマホの電話機能を、ここ数ヶ月は施設からいつ連絡が入ってもいいように活かして、心構えはしていました。
ずっと寝たきりだったので、横たわった友吉っつぁんは、いつもと何も変わらないように錯覚してしまいました。
とても安らかな顔が、苦しまずに最後を迎えたことを表していました。
長女で、移住してからずっとそばで見守って来た妻と一緒に、声をかけました。
「よく頑張ったね」
実際、脳梗塞で倒れてからの友吉っつぁんは、よく頑張りました。
「安住の地“くつろぎ”」
手配した葬儀社からやってきた係りの人たち二人が、手際よく遺体移送の車に友吉っつぁんを乗せて行きます。
それを眺めている自分は、なんだか現実のことと思えず、体も心もふわふわした不思議な感覚でいました。
遺体を乗せた車が「くつろぎ」を出発する際には、施設長さん、総務部長さんをはじめ、看護師さん、介護士さん、皆さんが総出で見送ってくださいました。
妻と二人で、精一杯のご挨拶をと思ったのですが、妻も自分も胸がいっぱいになって、とてもグダグダな挨拶になってしまいました。
皆さんには、本当によくしていただきました。
とても献身的にお世話をしていただきました。
前のリハビリ病院に入院している時に、そこは期限があり施設を探さなくてはならず、その話をしている時に友吉っつぁんは「安住の地になるといいがな」と、私たちにプレッシャーをかけるほど施設に入ることを前向きにとらえていました。
恐らく、自分で前向きにとらえるように言い聞かせていたんだと思いますが。
「くつろぎ」に入ると、胃ろうによる食事から、排せつから、入浴から、全て皆さんのお世話になることになりました。友吉っつぁんは、それらの全てをすぐに受け入れて「みんなが全部やってくれるから、俺は殿様だ」と笑っていました。
話す機能を失っていましたが、私たちと一緒の会話に一生懸命取り組み、話すことに努力してくれ、1割~2割は意思疎通ができるようになり、介護士さん、看護師さん方とも、世間話ができるようになりました。
皆さんとのやり取りを数少ない楽しみにしていたようで、冗談を言っては笑わせ、皆さんから「かわいい鎌田さん」「かわいい友吉さん」「かわいい友ちゃん」と言われて、照れくさそうにしていました。
1年と8ヶ月弱、施設にお世話になりましたが、友吉っつぁんはどうやら「安住の地」と思ってくれたようで「もうどこにも行きたくない」と、繰り返し言っていました。
「老衰」
施設と提携している道東の森総合病院に行って「死亡診断書」をいただいて、葬儀社に打ち合わせに行きました。
死亡診断書の死因の欄には「老衰」と記載されていました。
その文字を見た時に、自分の胸に熱いものがこみ上げるのを感じました。
寝たきりにはなってしまったけれども、最後には病気らしい病気にもならず、安住の地「くつろぎ」で、皆さんとのコミュニケーションを嬉しく感じながら、「老衰」で、穏やかに旅立つことができた。
そのことがとても嬉しく、移住して本当によかったと心の底から思うことができました。
葬儀社との打ち合わせを終えて、夜自宅に戻ると、仕事しながら飲み始めていたコーヒーカップがそのまま置いてありました。冷静なつもりでも、慌てて施設に向かった自分を振り返って、可笑しくなりました。

心を込めて見送りたい
斎場の空きの関係で、中二日置いての通夜から告別式に決まりました。
慌てて見送りたくなかった自分としては、かえってよかったなと前向きに受け止めました。
〈日時〉
■通 夜 令和7年6月19日(木)17時から
■告別式 令和7年6月20日(金)9時から10時
〈場所〉
■斎 場 北見ベルコ会館
■住 所 北海道北見市南仲町2丁目5-31
■電 話 0157-31-4444
〈喪主〉
長女 今野真理子
喪主は友吉っつぁんの長女である妻ですが、心を込めた見送りができるように、精一杯支えたいと思います。
ご義父さまのご冥福を心より祈らせていただきます。合掌。
入村さん ありがとうございます。今日(6/17)はこれから葬儀社と具体的な打ち合わせです。心を込めて見送りたく存じます。