成長の喜び

毎月月初に、前の月の給与を支給するのは習わしなれど、本日(2/27)から出張にて不在につき、前倒し支給式を執り行った。もう何度も執り行っておるが、この瞬間はとても幸せを感じる時間だ。

奇跡が起こる

発達障害(自閉症スペクトラム)の娘の暮らしやすさ、生きやすさは、我が家にとって友吉っつぁんへの寄り添いと並びそそり立つ、双璧の課題だ。東京の三鷹在住の時には、近所の作業所で軽作業(封筒貼りや、ハンカチの刺繍作業等)に従事していたが、人とのコミュニケーションが苦手な娘は、しばらくすると出勤はするものの、タイムカードだけ押して帰って来てしまうようになっていた。

以前から、ピアノや絵やペットのことや、何か興味を持てることはないかと試行錯誤しては、モノにならずに来ていたんだけど、パソコンとタブレットだけは、教えてもいないのに勝手にいじって、いつの間にか色々検索して遊ぶようになっていた。それ以上何も起こらずに、単なる「検索大王」として、時を過ごしていて、自分も「ここまででも娘にとっては画期的なことだ」と、感じていた。

北見に移住してからのこと、ひょっとして、可能性があるのかもと思って、自分が使っていたマイクロソフトのpowerpointのマニュアルを、「見てみて、興味持てたらやってみてね」と上げてみた。しばらく経っても見ている様子もなく、机の上に放置されていて何事も起こらないまま時間が過ぎていて、「やっぱり興味はなかったか」と諦めていた。



奇跡はある日突然やってくる。

忘れた頃に、妻から「マニュアルをどうやら読破したようだ」と報告があった。
突然目覚めたのか、マニュアルを開きパソコンを立ち上げ、一心不乱に格闘していたと。どうやら3日ぐらいで、そのマニュアル本を読破し、基礎的な使い方をマスターしてしまったらしいのである。
しばらく放置していたのだから、何がきっかけだったのかまったくわからない。何でスイッチが入ったのだろうか。
挑戦してみたこと自体がすごいことだが、自分が2週間くらいかかって読んでいたマニュアル本を、なんと3日で読破してしまうとは・・・・。恐るべし。しかもパソコンを開いて、操作を試しながらでである。

自分が手書きした仕事上の図を恐る恐る渡して、「これをpowerpointで打ってみてくれる?」とお願いしてみた。
「いいよ」とシンプルな答えが返ってくる。

猛然とパソコンに向かうこと数十分。あっという間に仕上げてしまった。
図のバランスはよくなく、手を加える必要はあるものの、初めての作品としては期待以上で、あの時受けた衝撃は今でも忘れない。

わが社の重要なスタッフに

それから、手書きの私の資料や、ネット上の資料でデータ化したいものを少しずつお願いして、入力を繰り返すうちに、どんどん上手になっていく。相変わらずバランスは悪く、手直しは必要なのであるが、自分がゼロから打っていることを考えれば、相当に助かる画期的な展開である。

今では、株式会社GOOD and MOREの重要なスタッフになって、毎日パソコンに向かっている。

自分の脳裏には、小さい頃(その時には発達障害と判明していたので)、何か技を身につけさせたいとピアノを手に入れて家のリビングに置いて、一緒に弾いて遊んでいたものの、あっと言う間に飽きて見向きもしなくなった、苦い思い出が蘇っていた。その当時のピアノは諦めてすぐに手放してしまった。

苦節、20数年にして、長い間探していた仕事につながる「得意なこと」がようやく見つかったのである。

仕事への意識

この頃、嬉しいことは、「仕事」への意識が日々高くなっていることである。

自分のやった仕事で人に喜ばれ、月々きちんと給与をもらう喜び。そのお金で自分の好きなものを買う喜びを初めて知ったと言ってよい。三鷹の作業所の時にはそのようには感じられず、行くことを義務と感じていたようだった。

一つの仕事を数日かけて終わると「次の仕事をお願いします」と、自分から要求してくるようになった。どうやらコンスタントに仕事をしていきたいと思っているらしい。

ただ、残念なこととしては、ある一定のところで技術の向上に満足して、上達が止まってしまったことだ。
自分としても「ここまで来たこと自体が奇跡だから、もういいかな」という気持ちもなくはなかったが、どこかでまた火がつくといいなあと漠然と思っていた。

「限界」と決めつけていた

発達障害の影響なのであるが、彼女は何事においても「バランスを取る」「ほどよく」ということが苦手である。

powerpointでの仕事においても、画面にバランスよく図を配置することができずに、どうしても隅っこの方にチマチマっと入力して終わってしまったり。大きさがバラバラで、バランスを調整するということが、なかなかできないでいた。

何度か、「文字をもっと大きくして」「図を真ん中にドーンと配置して」と、なるべく具体的に修正してほしいことを伝えてみるのだが、言葉の意味が通じないのか、理解はしていてもできないのか、どうにも要領を得ない。

半ば諦めていたところへ、今思えば、「なんでそんな基本的なことをやってみてなかったんだろう」ということなのだが、妻がポツリと言った。「あなたが、お手本を作って見せてあげればいいんじゃないの?」って。

実のところ、そう考えたこともあったのだが、「そうしたとしても娘には無理なんじゃないか」と何となく決めつけてやっていなかったんだな。

さっそく、娘が作ってくれた7~8枚の直近の作品(スライド)に手を入れて、「次からこういう風にしてもらえると嬉しい」という見本として、見せてみた。その時は、見てはくれたものの、期待していたような「なるほど」という反応もなく終わったのだが、果たして今後に変化はあるのだろうか。

得意顔

自分の作った「お手本」が娘にどのように受け取められたのか確証が無いまま、次の仕事(スライド作成)を依頼した。

数日後、娘からUSBで仕事の納品があった。正直のところ、あまり期待せずに、いつものレベルの作品をイメージしながら、ファイルを開いてみた。

「わーお!」今回の作品を見て、僕は唸ってしまった。これまでの、小さな文字でスライドの隅っこにチマチマっと配置されていた作品は、どこにもなく、堂々とした大きなフォントで、重要な図はドーンとスライドの中央に配置されている、見違えるようなできである。

僕の「お手本」を見て、理想の作品がイメージできた彼女は、見事にそのポイントを理解して、すぐに次の仕事に反映してくれていた。僕の中にジワジワと感動が込み上げて来るのが分かった。

どんなに言葉で一生懸命伝えても、イメージできなかった彼女が「お手本」を見ることで、自分の作り方を修正することができた。山本五十六の言葉ではないが、「やってみせる」なんていう基本的なことを「どうせ無理」と決めつけて怠っていた自分のなんとイケてないことか。

今回の一連の仕事のできのよさを、さっそく娘に伝えた。「バランスがよく、とっても見やすくできていたよ」と。
その時の、娘の得意そうな顔はなんとも言えないものがあった。俗に言う「ドヤ顔」というやつである。

給与袋への一言

今回の給与袋への手書きの一言は「今月のお仕事はとても見やすくていねいにできていました。とても助かっています」というものだった。

あまり表に出さないので、感情の分かりにくい娘であるが、今月の支給式の顔はいつになく満足そうに、僕には見えたのだった。

コメント

    • 入村道夫
    • 2025.02.28 8:09am

    何度も読み返させていただきました。
    我が家の次男、療育手帳保持者です。昔から彼のできないことを探すのではなく、彼のできることを探してあげよう、の想いで動いてきていることがリクルートそしてコスモスでも生かされていました。
     「人のできないことを探しだすのをやめて、その人のできることを探そう。そして一人一人のできることを組み合わせて組織の課題に対応していこう。それが組織それが会社」。

      • imano
      • 2025.02.28 8:20am

      入村さん
      ブログをご覧いただき、コメントもいただき感謝申し上げます。
      「彼のできないことを探すのではなく、彼のできることを探してあげよう、の想いで動いてきている」← これからも肝に銘じます。
      自らのご体験が、マネジメントポリシーに色濃く反映されていることを部下として、いつも感じていました。尊敬いたしております。在職中は、何かとご指導いただきありがとうございました。
      今後ともよろしくお願いいたします。

    • 入村道夫
    • 2025.02.28 3:59pm

    今野さん、こちらこそ宜しく、です。ありがとうございます。老爺 入道

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