6月に義父が永眠して移住ミッションがコンプリートしたこと。10月に20日間の入院を経て闘病生活に入ったこと。この二つだけでも自分の中では、十分激動の2025年だったと言えるんですが、実はもう一つ劇的なプロジェクトが進行しているのであります。重なる時はほんと重なるものですね。
岩手の父も一昨年に永眠
自分の実家は、岩手県の住田町です。三陸の陸前高田市、大船渡市、釜石市に隣接した、海のない山間の小さな町です。妻の実家の津別町(移住した北見市の隣)は「木の町」を標榜する林業が盛んなところですが、住田町も木の町でとても似ているんですよ。住田町も津別町も、自慢の「木」をふんだんに使用した、とても美しい「木造」の庁舎です。自分の故郷となったこの二つの町の共通点に、とても「縁」というものを感じています。

北海道の義父の相続手続きが無事完了したことは、ブログ「移住ミッションコンプリート」に書いています。一方、先に旅立った岩手の父の方は、少々複雑な事情があり、まだ手続きが終わっていないんですよ。自分は男ばかりの5人兄弟の4男で、相続話には無縁だと思っていたんですが、ところがどっこい。人生は、ほんとに何が起こるかわからんものであります。(10月に指定難病に罹った時もそう思ったのですが)
岩手の父の遺産を相続することに
紆余曲折ありまして、なんと、自分が岩手の実家の父の遺産を相続することになったんですよ。
自分はこれから、北海道の実家の山林と、岩手の実家の山林と田畑を、いったいどう取り扱っていけばいいのか。そして、これからの自分の人生はどのように流れていくのだろうか。2026年はそれを考える年になりそうです。
岩手の実家は、次兄が跡継ぎとして家に入っていたんですが、2011年、東日本大震災の年の10月に肺がんで亡くなってしまったんです。しばらく咳き込む状態が続いていて、病院に行くつもりでいたところ、折からの震災で、所属していた住田町の福祉協議会の役割として、震災の影響を受けた高齢者の皆さんの支援に飛び回り、なかなか病院に行けなかったんですね。少し落ち着いてきた夏頃になって病院の診察を受けた時には、末期の肺がんだったようで。秋に帰らぬ人となってしまいました。いつも自分のことは後にして、人の世話に一生懸命な「利他」に生きた兄を、心から尊敬していました。
その跡継ぎの次兄が存命であれば、遺産相続はシンプルでスムーズだっただろうと思いますが、次兄亡き今、誰が相続するかの話し合いには、かなり時間を要してしまいました。
自分自身は、きっと今野兄弟の二人の兄のどちらかが相続することになるのだろうと思い、早々に相続放棄の意思表示をしていたんですね。最終的に相続権者の意思を確認していくと、全員が「相続放棄」ということになり、財産を「国庫に入れるしかないね」という方向になっていってしまいました。そこまでに至る紆余曲折は、とてもデリケートな内容なので、詳しい事情説明は割愛します。
国庫に帰属という結論を前にして、そうはしたくないと思い、「自分が相続するよ」と手を上げたというわけです。
岩手の実家は代々農業を営んでおり、遺産のほとんどは山林と田畑です。
実家のある地域は限界集落一歩手前で、放置されている山林は荒れており、田畑も耕作放棄地が多いのが現状です。
林業、農業に従事しようとするのであればともかく、「売ってお金に換えようと思っても、売れないよ」「売れても二束三文だ」「困って放置するだけになるよ」というような具合で、取り扱いに困る可能性が高い中で、誰もが相続したくないと考えるのは、不思議なことではなかったと思います。
自分が相続しようと思った理由
「誰も相続しないのなら、自分が相続するよ」と手を上げたのですが、実のところその理由を論理的に説明するのはなかなかに難しいところです。
一人暮らしの義父のそばに住むために北見市に移住した時の決断に、似ています。
あの時も、「自分は、今、義父のそばに行かないと後で後悔するんじゃないか。最後の最後に親孝行するとしたら今しかない」と、体が動いたというのが実情で、論理的に考え抜いたというわけではありませんでした。
人生には、論理的に説明できないことって、たくさんありますよね。
【相続できる人がいる限り】
相続すればできるのに、今野家のご先祖の皆さんが営々と守って来た大切な財産を、国庫に帰属させてしまうということにとても違和感を感じていました。違和感というよりも「罪の意識」と言った方が近いかもしれません。亡くなってしまった父にも、次兄にも申し訳ないと思いましたし、ご先祖様にも顔向けができないと感じていました。
津別の義父のこともそうなのですが、自分はある時期から、親や先祖や、先人の積み上げて来たものへの思い(感謝?畏敬?)が強くなっていることを自覚しています。
しようと思えばできることなのだから、国庫に入れずに今は引き継ぐべきだと、今回も体が動いていました。
亡くなった次兄には二人の子供がおり、実家のある町と隣町に住んでいます。何人かの孫にも恵まれています。今は引き継ぎたくないと言っていますが、歳を重ねると共に、価値観や生き方というものは変わっていくものです(自分自身も大いにそうでした)。一旦、自分が受け継いでおいて、その時が来たら譲る可能性も残しておきたいという気持ちもどこかにあります。
【持っていることで学べることがある】
昨年、津別町の義父の財産の相続手続きを進めるために、森林組合に何度か相談に通いました。津別町の山林を管轄しているのは「北見広域森林組合」で、事務所は北見の私の自宅から車で10分もかからないところにあります。
お話を伺い、追加で自分自身でも調べながら、「国産材の利用拡大」と「森林の適切な管理・整備」を軸に推進されている日本の木材・森林に関する政策を学ぶことができました。
1. 建築物における木材利用の促進(都市の木造化)
2. 国産材の供給・流通体制の強化
3. 森林管理と森林資源の循環
4. 働き方改革と担い手育成
5. 木育(もくいく)の推進
林業の活性化と環境保全の両立のために、我々のような親から譲り受けた山林の所有者を対象とした、維持活用の支援体制もでき上っていることも分かりました。
今後、「北見広域森林組合」にお世話になることが増えていくと思いますし、岩手の実家の山林に関しても早い時期に森林組合に相談におじゃましようと思います。住田町の山林は「気仙地方森林組合」が管轄しているのだそうです。
気仙地方とは、主に岩手県沿岸南部の大船渡市・陸前高田市・住田町と、隣の宮城県気仙沼市あたりを指す、今も地元では愛着を持って使われている地域名です。ちなみに、陸前高田市の山林は「陸前高田市森林組合」が管轄しているそうです。
岩手の実家の田畑に関しても、同じように農業行政の実態を学ぶチャンスだと考えています。今話題のコメ問題ひとつ取っても、消費者が報道されている情報に接しているだけでは理解しえない複雑な仕組みの上に成り立っているわけです。タイミングが悪いことに、今は闘病中で岩手に行くことができない状況なのですが、移動ができる体になった暁には、住田町の役場、JA(農協)に、相続したことの挨拶と共に、まずは仕組みのレクチャーを受けに行って来なくてはと思っています。次兄は一時JAで仕事をしていたことがあるのですが、その頃は「住田町農業協同組合(JA住田)」だったのですが、今は、JA大船渡住田支店になっているとのこと。JA大船渡とJA住田が合併したんですね。
実家はかなり前に廃業して、耕作はしていないのですが、田んぼの一部を貸し出しているんだそうで、最近でも新たに「田んぼを貸してほしい」という問い合わせが来ているんだそうです。また、住田町には農業法人化して取り組んでいる人も何人かいるんだそうで、その方々にも話を聞きに行き、住田町の農業の実態を知ることから始めようと思っています。
年齢が年齢ですから、これから林業、農業に従事することは難しいと思いますが、土地の所有者となることで分かることも多く、色々な新しい仕組みや取組み事例の中に、将来の可能性があるような気もして、楽しみにしているところです。
故郷への思い
自分が相続しようと思った背景には、もうひとつ大切なことがありました。
一人暮らしの義父(妻の父)の近くに住む目的で北見市に移住した時点で、自分の故郷は妻の実家の津別町だ、と心に決めて活動をしていたんです。しかしながら、父が旅立ち、相続のことがクローズアップされ、誰も相続せずに山も畑も田んぼも、すべて国庫に帰属することになると思った時に、とても胸が痛みました。
「自分が生まれ育った故郷が無くなってしまう」
自分が生きているうちは、少なくても元気で活動できているうちは、「今野家」の財産として、帰れる場所として大切に残しておきたい、という気持ちが湧き上がりました。こうして書きながら気がついたのですが、これが一番の理由だったかもしれません。

《岩手の実家の風景。右寄りの真ん中辺に写っている建物が実家です》







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