「また、おじいちゃんのところに行く!」と、娘が言い出しました。友吉っつぁん(義父)がお世話になっている「くつろぎ」に行くと自分から言い出したのは2回目なのですが、滞在中にまたまた奇跡が起きました。
指相撲
カットのための美容院と、カウンセリングのための通院には、かろうじて頑張って行くことができているので、厳密にはそうではないんですが、北見に移住してからの娘は、ほとんど「引きこもり」と言ってもいい状態なんです。
東京の三鷹に住んでいる時には、商店街が好きでたびたび一人で買い物に出ていたんですが、北見の商店街はどうもなじめないようで、出かけようとしません。シャッター街で、寂しいので散策する気になれないんですかね。誠に残念です。そんなこんなで、老人ホームに入っているおじいちゃんのところにも行きたがらない日が続いていたわけです。
初めて面会に行った前回が「画期的」だとすると、二回目の今回は、これはもう「画期的×2乗」という出来事であります。
先日の一回目はドギマギしていた娘が、今回は勝手がわかったのか、友吉っつぁんと握手した上に、なんと「指相撲」をしているではありませんか。何たる奇跡の連続。発達障害の影響で社会性が低い娘が、誰かと手を取って「指相撲」をするなどということは、これまで120%ありえないことだったのであります。

「おじいちゃんに“大丈夫”って言ったよ」
しばらく娘は、妻が友吉っつぁんの顔を拭いたり、手足に潤いのローションを塗ったりするのを眺めていました。しばらくすると、おじいちゃんが、溜まった痰の影響で咳込んで苦しそうにしています。しばらく心配そうに見ていた娘でしたが、意を決したように言葉を発します。
「大丈夫だよ!」
半引きこもり状態の娘が、「おじいちゃんの所に行く」と、2回も面会にやってきたことだけでも「画期的×画期的」であったのですが、自分の意思で発した、おじいちゃんを励ます言葉は、我が家にとっては、「画期的×画期的×画期的」な出来事でありました。
少しの間があった後、娘が私に向かってこう言います。
「おとうさん。おじいちゃんに、“大丈夫!”って言ったよ」
娘は、おじいちゃんに「大丈夫!」と言ったことを、なぜ私に報告したのか。その意味に気が付いた私は、胸が熱くなり、思わず涙ぐんでしまいました。

「大好き、大丈夫!」
2歳の時に検査して「発達障害(自閉症スペクトラム)」と判明した娘の何か力になれないものか。
そう考えた私は、毎朝、娘に声をかけることを始めました。
「おとうさんは○○が大好きだよ。だから大丈夫!何があっても大丈夫!」
という言葉でした。
これは、発達障害が判明した時に、お医者さんから「娘さんは、感受性はとても優れていて、色んなことがよく分かっているのに、(障害のために)思うようにいかないことが多くて、とにかく“不安”なんですよ」と教わってから、娘を勇気づけようと決めた言葉でした。
「大丈夫!」の2回目の奇跡
2歳の時に判明してから、毎朝「大好き!」「大丈夫!」と言い続けても何も起こらなかったのですが、1回目の奇跡は、小学生の時にやってきました。
不登校が続いてしまっていた娘が、ある日突然、ある言葉を発して再び登校を始めたのです。
その言葉とは・・・・
『お父さんがいつも「大好き!」「大丈夫!」って言ってくれるから、学校に行ってみる』
この言葉を聴いて私は、号泣しました。
何年もの間言い続けても何も起こらないように見えていた「大好き」「大丈夫」という言葉が、娘の心に勇気を与えることになったのです。「継続は力なり」という言葉の意味を、この時ほど感じたことはありませんでした。
4年前に北見に単身移住して慌ただしかった時は、一時中断したこともありましたが、今も娘への「大好き」「大丈夫」の発信は続いています。北見のマンションで、二つの部屋に分かれて暮らしていますので、今はLINEで伝えていますが、今回のことで、娘がきちんと言葉を受け止めてくれていることが分かりました。
娘が私に言った「おじいちゃんに、“大丈夫!”って言ったよ」という言葉の意味は・・・・
『いつもおとうさんが自分に言ってくれている「大丈夫」を、おじいちゃんに伝えたよ」
という意味だったんだろうと思います。
ついに、娘が「大丈夫!」という言葉で、人を勇気づける時がやってきました。
感無量です。
本当に幸せの余韻の残る一日でした。
涙して3度読ませていただきました。
療育手帳保持者の46歳の次男のことが覆いかぶさり、
改めて私の心に潤いと明日からのエネルギーをいただきました。
ありがとうございます。
義父さまの「大丈夫!!!!!!!」を祈らせていただきます。