これを書いているのは2025/10/24(金)。入院16日目の朝である。所は、北見にある日赤病院の病室。もう少し早くこのブログで「入院」の事実をお知らせしたかったのであるが、治療生活、入院生活になじむのに精いっぱいだった。柔軟性、順応性にはとりわけ自信のあったつもりの自分だが、「あれっ、自分そうでもないのかな?」と少々自信を喪失しつつ、やっと入力画面に座ってるという次第である。
妻に背中を押され
【体の急変を様子見】
今月(10月)に入ってすぐだった。手足に赤い発疹のようなもの(これが後でただの発疹でなかったと分かるのであるが)が出始めたのである。さらには、毎日やっている室内トレーニングで、マットに膝をついてやる運動を終えたところ、ひざにでかでかと「アザ」ができていることに気が付いた。写真は残っていないのだが、半端ない大きさのアザで、手足の発疹とともに、「これはどうしたことだ」と思いながらも、その時には「少し様子を見てから、引かなかったら皮膚科に行ってみよう」とのんびりしていたのである。
【妻に背中を押され皮膚科へ】
「きっとすぐに引くだろう」という自分の見立てはまったく間違っており、数日経っても一向に引かないどころか、足の脛などの場所によっては発疹が増えているではないか。こういう時に背中を押してくれるのは、いつも賢明な妻であり、一言「早く行って診てもらって安心した方がいいんじゃないの?」という価値あるアドバイスを発してくれる。いつもあそこが痒いの、あそこに何かできたのとちょこちょこお世話になっている近所の皮膚科があり、そこにGO!である。
【「内科で血液検査を!」】
皮膚科の先生登場!私の体の様子を見るなり「これは内科ですぐに血液検査を受けた方がいいな!」の一言で、通院史上最短の診察で終了!どうやら皮膚の問題ではないらしいことは分かったが、果たしてどういうことなのかは不明。
内科から日赤病院への怒涛の連携
【近所の内科医院】
翌朝一番で、これも家族でお世話になっている自宅至近の内科医院に行き、一番に診てもらい、速攻の採決で「午後の、そうだな14時か15時には結果が出ていると思うから来て」と言われ、一旦帰宅して、昼食を済ませ、「終わったらすぐに内科に結果を聞きに行こう」と思いながら、午後一番のコーチングセッション(リモート)に取り組んでいた。
【読び出し電話】
リモートでのコーチングセッションに夢中になっていると、スマホに着信の様子が。しかも一旦切れては、繰り返し着信している様子が分かり、どうしたことかと気持ちが焦りつつ、コーチングセッションを少し延長気味ながら終えてから確認すると、血液検査をお願いした内科医院からであり、大急ぎで電話をしたわけである。
「大至急、来られますか?血液検査の結果が出まして。先生からお話がありますか。今すぐ来られますか?」との緊迫した呼び出しの電話だったわけです。
【日赤病院への連携】
駆けつけると、「今野さん、すぐに診察室に入ってください」とすぐに呼ばれて診察室に入った。待ち受けていた先生が、検査結果を見せながら「血小板の数値が異常に低い。ここでは手に負えないから日赤病院に電話するんで、この足ですぐに行ってもらいたい」とのお達しである。
結果を見ると血小板の値は「1万5千個」。よく分からないながらも、先生によるとこれは危険水域以下で、脳出血などの危険があるのだとこと。すぐに「紹介状」も書いてくださって、日赤病院に着いて受付を済ませ、内科に急行すると、皆さん「待ってました」とばかりに、検査が、しかもいくつもの検査が大速力で進んでいく。こんなに要領のよい検査の展開は初体験である。心電図、骨髄液、CT、もちろん再度血液、・・あれよあれよと目が回る展開。
あれよあれよの緊急入院劇
【妻が呼ばれる】
日赤病院での再度の血液検査もすぐに結果が出て、血小板の値は「2万個」。先生から「今日はこのまま入院です」「ご家族に連絡してください。入院用品と病気についてのご説明も一緒に必要ですから」との宣告があり、すぐに妻に来てもらうことに・・・。
妻が来てくれてから、予測される病気の説明が始まるが、何しろ心が追い付いていない自分の理解はまったく追いつかないのだが、一緒に聴いてくれている妻は冷静沈着なようなので、後からかいつまんで説明してもらおうと、理解を諦めることにした。
【突発性減少性紫斑病】
先生によると、骨髄液検査の結果(2週間かかるという)を見ないと正式には言えないが、「恐らく“突発性減少性紫斑病”ではないか」との見立てをしているとのこと。これは最近になって「免疫性血小板減少症」という病名に変わったことが後から分かったので、このブログでは新しい病名で統一する。
お医者さんって、時々グサッと刺さる言葉を何気なくおっしゃる。一言「白血病の可能性もゼロではありません」とピシャリ。これがやけに胸に刺さって、少しブルーになったが、お役目柄仕方ない内容なのだろうが、もう少し柔らかく伝えてもらえると患者としてはありがたい。緊急入院の理由の説明でこうもおっしゃった。「脳の方で出血したら大変ですからね」。先生にとっては、よくしているご発言なのだろうが、初めて直面している自分にとっては、ショッキングな内容であり、一発で緊急入院を納得して覚悟を決めた。そうかそういう意味では、先生の言い方はいいのかもしれないとも思ったり、複雑である。
大量ガンマグロブリン作戦
【緊急時作戦】
説明によると、緊急時(今回のように急激に血小板が下限を切って下がっている場合)には、大量ステロイド療法や、大量ガンマグロブリン療法や、血小板輸血が行われるそうで、「輸血同意書」にもさりげなくサインさせられた。サインの行為はさりげなかったが、気持ちはドキドキだった。「うわ~、輸血の可能性もあるのか~」。
採用されたのは、初日から数日間の「大量ガンマグロブリン療法」である。ステロイド療法と比べて、効果は長持ちしない(1週間程度しか効かない?)が、血小板の減少を一気に止めるには効果的なのだそうだ。「ガンマグロブリン」というものを血小板の数が安全な値まで戻るまで、大量投与するという。
これが、やってみると人生で未体験ゾーンの5本の点滴ボトル連結5時間コース、という大変なものだった。

《人生初体験の景色:迫力の点滴5ボトル連結》
この5本のガンマグロブリンと、それとは別に1本のステロイドの点滴で、合計5時間の点滴が数日続いた。
効果を信じてひたすら耐えるのみの日々。数日後、血小板の値が順調に上向き「大量投与は終了で、ステロイド1本でいきます」と言われた時の解放感たるや、例えようもないものだった。
一本の点滴をするというのは、それだけでも大変なことなのだが、何しろ5本連結の5時間コースを数日間乗り越えた後の、1本はまるで普通のことのように平気で、人間の感覚というのはほんとに不思議なものではる。
「免疫性血小板減少症」
【“免疫性血小板減少症”とは?】
「免疫性血小板減少症」という病気を初めて知ることになった。これは、自己免疫によって自らの血小板を破壊して減らしているというやっかいな病気なんだそうだ。健康体の血中の血小板の基準値は「15万8千個~34万8千個」ということになっているんだそうで、2万個を切ると、脳内出血や下血などの体内出血の危険性が高まり、対外では手を切ったりした出血が止まらなくなるんだそうだ。
原因不明で、決定的な治療法は確立されていない指定難病の病気なんだとか。一生のうちに自分が指定難病にかかるなどと夢にも思っていなかったので、判明してもなんだか夢の中にいるようで、未だに実感がない。
子供がかかるとすぐに治りやすいんがそうだが、成人、とりわけ高齢者はだいたいが慢性化する傾向にあるらしく、退院できたとしてもステロイドを飲み続け、週に一回の血液検査で観察していくんだそうだ。長期戦である。
【副作用との闘い】
現在有効な治療は「ステロイド」の投与とのことらしい。今服用している薬の名前で言うと「プレドニゾロン錠」である。先日、経過がよいということで点滴から錠剤に形態が変わった。
これには、いくつかの副作用が警戒されて、対策が必要なんだそうだ。
教わったままに書くと「免疫抑制に伴う易感染症」「高血糖(ステロイド糖尿病)」「高血圧」「脂質異常」「白内障・緑内障」「骨粗鬆症」「消化性胃潰瘍」「不眠」「便秘」など・・・。
現在は、「不眠」と「便秘」に悩まされ、対策の薬を抗菌剤と共に同時服用している。
「骨粗鬆症」が、一度なったら戻らないような気がして、一番なりたくないと感じている。
もちろん全部避けたいけど。
「悔しさ」の中にいる
自分は今、相当な「悔しさ」の中にいる。
6月に北見への移住の目的だった義父が旅立ち、その後の「燃え尽き症候群(だったかどうかは定かではないが、自覚的に)」を乗り越えて、「さあ、これからの展開をどうしようか」と、あれこれシナリオを考えている矢先だった。
せっかく移住したのだからと地域への貢献もこれからしたいと思うし、組織変革のコンサルやエグゼクティブコーチングの仕事もすぐに辞めるつもりにはなっておらず、これからなりの展開を考えていた。
障害を抱えている娘の将来への布石も、次の大きなテーマであれこれとこれも考えていた。
出鼻をくじかれることになってしまった。
当面はハードな仕事や運動などを控えるように言われてしまっている。
このタイミングでのこの病気は、天は、神様は、仏様は自分に何を示唆してくださっているのか。
治療に向き合いながら、北見日赤の病室で自分のこれからの人生にも向き合い直している。







コメント