友吉っつぁんの生きる力
食べることと話すことの機能を失うということが、どれだけのダメージのあることか、経験してみないと分からないが、人生の楽しみの多くを失うことだということは想像がつく。そのことを考えると、胸が締め付けられる思いがする。
短いつきあいであるが、友吉っつぁん(義父)の人生の達人ぶりは大いに見習いたいと思っている。
義母(すでに他界)がガンで北見の病院に入院した時には、一日も置かず看病に通い続けていたそうだ。
今、友吉っつぁんの施設に毎日通っているのは、それを見習っているだけだ。
今まで、家族の病気や自分の怪我や、仕事上のトラブルなど、幾多の苦難があったが、友吉っつぁんは何事にも動じることがない。
今回脳梗塞で倒れ、寝たきりで、食べる機能も失って、完全介護の老人ホームにお世話になるに当たっても、「皆が何から何までやってくれるから、俺は殿様になった」と、明るく笑い飛ばしている。
こうなったことがショックでなかったはずはないし、簡単に受け入れられたはずはないと思うのだが、我々の前で弱音や泣き言は一切吐くことがない。
自分も、もしもの時にはそんな態度でいられたらと、とても尊敬の念を大きくする。
できるだけのことをする
完全介護で、看護師さんと介護士さんの体制ができているので、妻と私がやらなくてはならないことは特に無い。
しかしながら、「近くに住んでいる我々にしかできないことを精一杯やろう」と妻と話し合った。
1.施設に毎日通う
友吉っつぁんが「孤独」を感じなくてよいようにしたい。
一緒に住んでいるように、とまではいかないが、側に住んでいていつも友吉っつぁんのことを気にしていて、一緒に生きているんだということを感じてもらいたいと思った。
2.プラスαのお世話をする
友吉っつぁんが望む、介護士さんなどのお世話のプラスαのお世話をする。
これは、妻の担当。
具体的には・・・
・腕と手と脚と足をマッサージして、保湿のクリームを塗ってあげる。
・髭剃り負けや、あちこちぶつけている手や脚の傷に薬を塗ってあげる
・顔を綺麗に拭いて、保湿のクリームを塗ってあげる
・目薬を差してあげる
・その他、気になっていることを聞いて、自分たちでできないことは介護士さんに伝える
妻は、「こんな形で親孝行ができることが嬉しい」と、毎日の日課をニコニコ顔でこなしている
3.話し相手になる
これは、話題によって二人(私と妻)の協働のミッションだ。
家族での昔話は妻の担当だが、認知が入ってきての荒唐無稽な話を聴き盛り上げるのは私の担当だ。
コーチングやファシリテーションや、マネジメントで鍛えてコミュニケーション力が、こんな形で大いに役立つとは、なんとも感動的だ。
かと言って、役割意識や義務感でやっているわけではなく、自分が幸せな気持ちになれるからやっている。
友吉っつぁんの話を一切否定せず、どんな荒唐無稽な話にもうろたえることなく反応して、話をつないで、盛り上げて、元気で喜ぶ友吉っつぁんを見ると、本当に幸せな気持ちになる。
さすがに時と共に弱って来て、この頃会話の量が減ってきているのがとても気がかりだし、残念だ。
4.スタッフの皆さんとコミュニケーションする
よく考えてみると、友吉っつぁんにとっては、我々は当然家族であるが、完全介護で今や、我々よりも長い時間お世話になっているスタッフの皆さんは、家族同然の心境なんではないかなあ、と想像した。
友吉っつぁんにとって家族の気持ちということは、我々にとっても家族ということになる。
スタッフの皆さんの名前を覚え、なるべく知る努力をし、気さくなコミュニケーションをしていこう。
友吉っつぁんの状況や介護方針などの情報共有を、事務的でなく、心を通わすコミュニケーションとして行えるように努力しよう。
5.メッセージを残す(伝言板)
会話の機会が減ってきていることへの対策、補完機能として伝言板を設けた。
小さなホワイトボードを用意しただけのことなのだが、これがなかなか機能してきている。
そうそう、毎日話題はないが、その時々感じたことや、義妹の家族がやってくる日程のことだとかを書いて帰ることにしている。
自分で起きてそれを読むことはできないのであるが、介護士さんが折りに触れて「こんなことを書いてくださってますよ」と読み上げて、話題にしてくださっているとのこと。
この伝言板の内容も、大切な思い出なので全て写真に残すことにした。
伝言板写真集













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