移住ミッション・コンプリート

2021年の4月25日に東京は三鷹市から北海道の北見市に移住して、4年と8ヶ月。移住の目的は、隣町の網走郡津別町の実家に一人暮らしの義父(妻の実父)に寄り添うためだったが、2025年の6月16日に94歳で永眠して、葬儀はもちろん、その後の実家の片づけ、遺産相続手続きなどの後始末を全て終えて、移住ミッション・コンプリートと相成った。67年の我が人生の中で、最も濃密と言える4年8ヶ月だった。

ミッションの変化

昨年(2025年)の6月16日に永眠したことによって、以下の6つにミッションが拡大した。
①近くに住んで義父と寄り添う(移住当初)
②施設の義父を盛り上げる(脳梗塞で倒れ施設に入ってから)
③葬儀(永眠後)
④実家の片づけ
⑤遺産相続手続き
⑥一族の盛り上げ

この6つのミッションについて、個別にGOOD&MOREで振り返ってみようと思う

近くに住んで寄り添う

「同居は勘弁してくれ」という義父の意向によって、北見に家を借りて住んで何かあれば駆けつけるという態勢で移住生活は始まった。

【GOOD(よかったこと)】
・楽しいドライブ&買い物&食事
「隣町までのドライブ→蕎麦屋でのランチ→スーパーでの買い物」のルーティーンが確立。
義父に観光地へのドライブ等も何度も提案したが、このルーティーンが一番と言って、すこぶる楽しそうだった。
中でも、往復の「ゴッコ遊び」は大いにウケた。
ゴッコ遊びとは、ドライブの間、二人で「役」を演じるというもので、例えば「会長と秘書」、「親分と子分」、「王様と召使い」等々。車のドアを開けて「会長お乗りください」。目的地に着いたら、助手席に回ってドアを開けて「会長着きました」とやるわけだ。
・各種のイベント
お正月やお盆はもちろんのこと、クリスマスや、誕生日など、節目の時にはケーキを買い、飾りつけをしてイベントを企画した。「こんなことは初めてだ」ととても喜んでくれた。

《91歳の誕生会》モンブランケーキが好物だった


・緊急時の支援
脳梗塞で倒れた時が最たるものだが、緊急時、何か困ったことがあった時には呼び出しがあって駆け付けた。パソコンが動かなくなった程度のささいなことばかりだったが、存在をありがたいと思ってくれていたと思う。脳梗塞で倒れた時には、近くに移住していて本当によかったと思った。そうでなければその時点で亡くなって、玄孫に会うことも無かっただろう。
・親戚、兄弟との絆
義父の近くに妹さん(我々の叔母)が住んでいる。実家に行った際には寄ってコミュニケーションを取るようにしていた。実家での誕生会などの時には叔母にも参加してもらった。主に妻の役割なのだが、近くに住んだことで親類との連絡も東京にいた時よりも密になり、少しばかり鎌田家一族の絆に貢献できたように思う。

【MORE(こうすればよかったと思うこと)】
・もっと早く移住すればよかった
これは「今さら」なのであるが、義母(2017年9月に他界)が存命中に移住して貢献できたらもっと喜んでもらえたのに、とつくづく思う。
・もっと近くに住めばよかった
色々な利便性を考えて北見に住んだが、実家にもっと近い所に住めば、脳梗塞で倒れた時にもっと早く駆けつけられて、後遺症も軽く済んで、もっと長く生きてもらえたのにと残念に思っている。
仕事を辞めて寄り添えばよかった
東京のクライアントの仕事も引き続きやっていて、東京出張が多く、実家に行けないことが多かった。中途半端ではなく、リタイアして移住して、余裕を持って義父と寄り添えればもっとよかったと思う。どれもこれもMOREは「今さら」である。

施設の義父を盛り上げる

2023年の3月に脳梗塞で倒れ、リハビリ病院を経て、その年の10月から北見市の「特別養護老人ホーム“くつろぎ”」に1年8ヶ月お世話になった。妻と二人で施設を訪問する生活が始まった。

【GOOD(よかったこと)】
・とてもよい施設に入ることができた
「くつろぎ」にお世話になることができたことは、本当に幸運なことだった。最初は、自宅からの近さ(車で5分、歩いて20分)を単純に喜んでいたが、日に日に、施設の内容そのものの素晴らしさにも感銘を受けた。内容とは、施設としての考え方(理念)、スタッフの方の立ち居振る舞い、仕事への姿勢、である。
・ほぼ毎日通うことができた
やり切った感がある。自分は出張で行けない日もあったが、そういう時でも妻が一人で必ず訪問してくれた。事情で行けなかった次の日に、義父が涙ながらに「昨日はどうして来てくれなかったんだ」と悲しがった時があった。それくらい毎日の訪問を楽しみにしてくれていたようだ。
・「友吉っつぁん伝言板」が機能した
小さなホワイトボードを、義父の枕元にぶら下げて、子供たちや親戚の皆さんの来訪予定や、その時々のトピックを書くようにした。本人は起き上がってみることはできないのであるが、介護士さんの中には声に出して義父に読んで聞かせてくださった方もいて、本当にありがたかった。


・盛り上げた
義父の部屋を訪問中は、妻と自然に役割分担できた。妻は、義父の顔を拭き、手足をマッサージしてローションを塗ってあげる。義父は人生の最後に親子の触れ合いを喜んでくれていたように思う。自分は、義父との話し相手である。脳梗塞の後遺症の構音障害があり、なかなか会話が成立しにくかったが、通じないことをあまり気にせず少しでも盛り上げるように努力した。
・玄孫との対面
これは一番のニュースと言ってもよいかなと思うのだが、義父の玄孫(やしゃご)にあたるベビーが誕生した。しかも旭川から親子三人で義父に会いに来てくれ、年齢差94歳の対面が実現したのである。日程を合わせて皆が集まってくれ、なんと義父を含めて5代に渡る一族でひと時を過ごすことができた。本当に奇跡の時間だったと思う。

【MORE(こうすればよかったと思うこと)】
・「くつろぎ」のスタッフさんにもっと感謝を伝えたかった
「くつろぎ」のスタッフの皆さんは、義父に本当によくしてくださった。一番ありがたかったのは、うまく喋れない義父とたくさんコミュニケーションを取ってくださったことだ。もっともっと直接感謝の気持ちをお伝えしたかったのだが、不覚にもあまりいい表し方ができなかった。皆さんのお名前を憶えて名前で話しかけるということも心がけたのだが、寄る年波のせいか思うに任せなかった。時々、皆さんに差し入れもさせてもらったのだが、「あまりやり過ぎても・・」と遠慮してしまって、控えめだった気もする。今思えば、やり過ぎなど気にする必要はなかったかなと後悔している。
・一度、帰宅させて上げたかった
昨年の春、永眠する2ヶ月ぐらい前のことだが、施設にご相談して義父を実家もコースに入れた「花見ツアー」に連れ出そうと計画したことがあった。施設では車とドライバー、帯同の看護師さんも手配してくださることになったのだが、肝心の本人はその気になれなかったようで、実現しなかった。恐らくその頃には、体が相当きつくなっていたのだと思う。前の年にでも気が付いて、もっと早く計画していれば実現できたかもしれない。一度、実家に帰宅させてあげたかったと悔しい思いでいる。

葬儀

葬儀社、菩提寺のご住職、その他たくさんの皆さんのお力を借りて、滞りなく見送ることができた。

【GOOD(よかったこと)】
・段取り
バタバタせずに、きちんと見送って上げたかったので、早めに準備にかかっていた。あまり早めに準備することは縁起でもないことかもとの逡巡も無くはなかったが、今になってみれば永眠の3ヶ月前から着手していたのはよかったと思っている。葬儀社(斎場)の選定、訃報のお知らせ先のリスト作り、葬儀のコンセプト等。
・三姉妹の結束
義父の子供は、長女である妻を筆頭に三姉妹である。次女、三女も道内で嫁いでいる。永眠する前からであるが、三人で密に連絡を取り合っていつもだいたい同じ情報を持つようになっているようだ。葬儀についても、準備の状況を共有し、相談することは相談し、長女である妻に一任することは一任するという具合で、結束できている様子は素晴らしいと感じた。葬儀の最後の喪主挨拶で、長女の妻を中心に三姉妹が並んでいる姿を見て、涙を禁じえなかった。
・皆様からの「ご弔意」
皆様から、多くの皆さんからありがたいご弔意をいただいた。現役を退いて久しいにも関わらず、多くの方に参列いただいた。私の昔の仲間やお取引先で、札幌や東京からわざわざおいでくださった方もいた。供花に弔電もたくさんいただいた。義父もきっと喜んでくれていたに違いない。皆さん、本当にありがとうございました。あらためて、心より感謝申し上げます。

【MORE(こうすればよかったと思うこと)】
・実家を回ってもらえばよかった
施設にいる最後の方で、実家をコースにいれた「花見ツアー」を企画した話を上に書いたが、義父を乗せて火葬場に移動する時に、遠回りにはなってしまうが、実家を経由してもらえばよかったと後悔した。火葬場の時間も決められていて、後の段取りにご迷惑をかけてはしまうことではあり、我がままを言い出す勇気がなかったのだ。
・思い出の演出が足りなかった
斎場さんとの打合せでは、「斎場への飾りつけは自由にしてよい」と言われていた。義父の生前の写真や、思い出の品などをセットして、皆さんに偲んでいただく等の演出は思うようにできなかった。今振り返ると、準備でいっぱいいっぱいだったようだ。

実家の片づけ

主(義父)が不在となった実家は、ひっそりと寂しい。思い出の品々を当面そのままにしておきたい気持ちと、かえって寂しさ(悲しみ)が募るから早めに片づけたい気持ちが交差した。相談の結果、放置しておくことは結局義父の成仏につながらないだろうと、雪が降る前に片づけようということになった。

【GOOD(よかったこと)】
・仏壇仕舞いがきちんとできた
一番最初にやったことは、仏壇の移動だった。移動と言っても、北見の自宅に津別町の実家の仏壇を置くわけにはいかない。魂抜きをご住職にお願いして、新しい仏壇を北見に設置して、魂入れをお願いすることにした。ご住職のお導きでとてもスムーズに行うことができた。北見に新しく設置した仏壇はとても素敵なもので、朝晩のお参りが気持ちよくできている。


・町内の業者さんにお願いできた
一時、時間がかかってでも一つひとつの品の思い出に浸りながら、自分たちで片づけるという話もあったが、諸々の現実を考えて、遺品整理の業者さんにお願いすることにした。当初ネットで業者さんを調べていたもののピンと来ず、地元の方にご相談すると、なんたる灯台下暗し。実家の近くにやってくださるところがあると判明。結果、とても親身になって対応していただいて、希望通り、雪が降る前に綺麗にしていただくことができた。
・記念写真をたくさん残せた
家の中のものを処分していただく前に、全ての空間の写真を撮影した。処分が終わって綺麗になった状態も撮影。実家の思い出のアルバムが完成した。

【MORE(こうすればよかったと思うこと)】
・自分にもっとお金があれば・・
今の自分には、老後の生活を何とか遅れる程度の貯えはあるが、実家の建て替えや、大規模リフォーム(住み続けるには相当のリフォームが必要)をするだけの資金はない。自分にもっとお金があれば、義父や三姉妹の思い出の詰まった実家に住み続けることができたのであるが、何とも残念である。しかしながら、この先可能性はゼロではない。相続も順調に済んだので、将来の可能性を楽しみに、実家を見守っていくつもりだ。

遺産相続手続き

実のところ、義父に心置きなく旅立ってもらうために、生前に相続について明確にしておこうと相談を始めてはいたのであるが、はっきりできない中での永眠となり、心配はしていたのである。この件に関しても三姉妹のコミュニケーションはとてもよく、年を越すことなく手続きを済ますことができた。

【GOOD(よかったこと)】
・三姉妹の結束・良好なコミュニケーション
いくつか意見の相違も見られたものの、関係のよさ、日頃からコミュニケーションをよく取っていたこともあって、スムーズに話し合いが進んだ。
・信頼できる司法書士事務所さん
地元の方にご紹介いただいた司法書士事務所の方は、とても親身にご対応くださり、滞りは一切なく手続きを進めてくださった。ご尽力、ありがとうございました。
・ロードマップを作って進めた
いくつかのことを期限付きで進めなくてはいけないことから、「相続手続きロードマップ」を作って各種手続きを進めた。

〈友吉っつぁん相続ロードマップ〉~都合により画像はボカしております


【MORE(こうすればよかったと思うこと)】
・義父との相談をもっと早期に
本人の永眠を前提とした生前の相続の相談は実にしにくいものである。日頃からの人間関係がよっぽどできていないと非常に難しい。数年前に移住して寄り添い始めた自分にとっては、とても難易度の高いことだった。しかしながら、一時的に気まずさは生まれたとしても、本人も含め関係者の後のことを考えると、結果的に「早く相談しておいてよかった」ということになるはずだ。

一族の盛り上げ

義父の姓、妻の旧姓は「鎌田」である。義父亡き後の「鎌田家」はどうなっていくのか。長女である妻の夫として、自分が鎌田家の今後にどのように貢献できるのか。今後の人生の課題のひとつである。

【GOOD(よかったこと)】
・親戚の皆さんとの関係づくり
なるべく、親戚の皆さんとのコミュニケーションを取るように努めてはきているつもり。実家に行く際には、たいがい近くに住んでいる義父の妹さん(叔母)の家に顔を出すようにしていた。なかなか訪問はできないものの、他の親戚の皆さんにも、折に触れて連絡を入れるようにしているのであるが、これは妻のマメさに助けられていることである。
・旦那衆のネットワーク
妻の二人の妹の夫と三人で、旦那衆のLINEグループを作ってやり取りをしている。実の姉妹の妻同士と違って、密にはできていないものの、いつでも気軽に連絡できる、近況報告し合える「ネットワーク」になっていることは大切だ。6月と12月の年に2回、三姉妹の家族が集まって行きつけの中華料理店のラウンドテーブルを囲んで食事会をしている。これもとても楽しみなイベントだ。元気でいられる限り、続けていきたい。

【MORE(こうすればよかったと思うこと)】
・もっと存在感を高めていれば・・
わが夫婦はずっと東京にいたので、法事などのイベントの時にしか親戚の皆さんと会う機会がなく、今野誠一は知ってはもらっているものの、存在感はそれほど高くはなかったのが実情だと思う。もっと存在感を高められていれば、これまでの、さらにはこれからの「鎌田家」にとってもよかったのではないか。後悔していてもしょうがないので、この先、できる限りのことで、鎌田家を盛り上げることを考えていく所存である。

これからのこと

以上、長々と移住ミッションについての振り返りをしてみたのであるが、こうしてみると、自分なりに精一杯やれた4年半だった。

6月に義父が永眠した後、多くの方に「東京に帰って来るの?」「東京に戻るんですか?」との問いかけをいただいた。東京の自宅を売却し、戻らないつもりで移住してきたので、回答は「帰りません」「戻りません」ということになる。

では北見を拠点にこれからどうしていくか、であるが、今後のことを本格的に考え始めた矢先に長期の闘病生活に入ってしまい、思考がストップしてしまっている。健康を優先に、焦らずじっくり考えてこれからの取組みを考えていこうと思っている。

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