WORK
私の役割は、企業の組織に一人でも多くの「ポジティブ・エナジャイザー」を生み出すことです。
企業が、せっかくよい商品やサービスと、それを世の中に知らしめ提供していく戦略を持っているのに、それを実現していく組織を動かすエネルギーが不足しているというもったいない状況があります。
企業の職場には、二通りの管理職が存在します。ひとつは、部下のやる気をそぎ、職場のエネルギーを奪っている「エナジー・バンパイア」です。逆に、職場にポジティブなエネルギーを与えるリーダーのことを「ポジティブ・エナジャイザー」と呼びます。(ミシガン大学のキム・キャメロン教授による)
一人でも多くの管理職に「ポジティブ・エナジャイザー」になっていただいて、企業の組織から「エナジー・バンパイア」を撲滅していくことが私の使命であり夢であります。
やっていることは3つです。
1.組織変革コンサルティング
組織を変えるお手伝いです。観点は、「ポジティブ・エナジャイザーを生み出す組織」です。
◼️旧態然とした組織構造をどう変えるのか
◼️責任と業務量の急増でオーバーワークになっている管理職のあり方をどう変えるか
◼️心に響く上位概念(ミッション・ビジョン・バリュー等)に再度定義する
◼️人と組織のエネルギーを大切にする企業文化をどう創造するか
これまで培った経験とノウハウを使って、皆さんと共に取り組んでいます。
2.管理職向けの研修提供
タイトルを総合的に言うならば、ズバリ「エナジャイザー養成講座」です。
管理職が「ポジティブ・エナジャイザー」でいるために必要なことがあります。キーワードは「俯瞰」「協働」「エネルギーマネジメント」です。
◼️全社を俯瞰して、自分のチームの存在意義を強く感じられていること
◼️自分の守備範囲を俯瞰して、メリハリのある組織運営ができていること
◼️孤軍奮闘することなく、メンバーを巻き込んで共にチームづくりに臨んでいること
◼️メンバーと共に、職場のエネルギーを上げる取り組みができていること
これらの要件を受講者参加型のプログラムとして作り上げ、提供しています。
3.エグゼクティブ・コーチング
専門機関での教育を受けたコーチングスキルを背景に、管理職、経営幹部、経営者のコーチングを行っています。重要なコンセプトは「エナジャイズ・コーチング」です。
私とのセッションによって、コーチングを受けた管理職、経営幹部の皆さんが、私からの質問による思考の活性化と深化、リラックスした中でのセッションによる心の安定が手に入るだけではなく、最終的にはエナジーアップできること。それを最も重要視しています。
◼️自分の思考が分かりやすく可視化され、俯瞰して再確認できること
◼️抱えている複雑な課題がロジカルに図解され、これからやるべきことが考えやすいこと
◼️自分のできていることと、これからやらなくてはならないことが整理され、取り組みへの勇気が湧くこと
◼️将来のありたい姿と現状が俯瞰できるように図解され、これからの取組が明確になること
これらを実現するために、質問力、傾聴力、承認力に加え、課題整理力、図解力をいかんなく発揮します。
自分の役割を、企業の組織に一人でも多くの「ポジティブ・エナジャイザー」を生み出すことと申し上げましたが、自分自身もエナジャイザーとして、ポジティブなエネルギーを与えられる存在でありたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
PLAY
落語
落語のてほどきをいただいた古今亭菊千代師匠との出会いの時のことを今でも克明に記憶しています。菊千代師匠は、女流真打第一号の女流落語界の重鎮でいらっしゃいます。
落語の裾野を広げるべくアマチュア弟子にも稽古をつけておられた師匠にアマチュアの一番弟子だった友人の紹介でお会いしました。
一緒に落語をやらないかと誘われたわけです。50歳を過ぎてからの遅いスタートでした。名刺交換をさせていただいて芸名をつけていただくことになりました。亭名は「福々亭」で下の芸名は師匠につけていただく習わし。
私の名刺をしげしげと見つめて師匠はこうおっしゃいました。
「あなたは、ちょっとしかめっ面だから芸名は面白い方がいいわね。お名前の上と下を取って“今一(いまいち)”になさい」と。
こうして誕生したのが福々亭今一。現在の、緑々亭今一(ろくろくていいまいち)です。
高座に上がった時の掛け声は「イヨッいまいち」といいんだか悪いんだか分からないものになるユニークな芸名で今でもとても気に入っています。
自己練習していったネタの私の高座をニコリともせずにメモをしながら聴いてくださって10分ぐらいで「もういいわよ」と止められてから色々と指摘をいただきました。
そして、こう言われました。「あなたはせっかくフラがあるのだから頑張って稽古して技術を身につけたらとても面白くなる。頑張って稽古しなさい」と。
「フラ」というのは落語用語でその人が元々持っている「おかしみ」のようなもののこと。「フラがある」と言っていただいて落語自体の評価は最低でしたがテンションが上がったものでした。師匠の名を汚さぬよう精進してこれからも笑いを通じて皆さんにエネルギーを届けていきたいと思います。
将来は「経営者落語協会」を設立して経営者が「笑い」で世の中にエネルギーを提供する世の中にすることと組織のあるあるをネタにした「組織落語」を創作して皆さんに喜んでもらうことを夢にしています。
実現はまったく見えていませんが諦めずに思い続けていこうと思います。
バンド
高校時代からフォークソングを同級生と二人で始めて社会人になってからは仕事仲間とバンドを組んでいましたが正直言って音痴でしたし楽器のセンスもありませんでした。
録音された自分の歌を聞き直して感じていた上に「ギターも下手だし、歌は音が外れている」と面と向かって言われたことがありました。
涙が出るほど悔しくてすぐに止めたくなりましたがその時の自分には不思議と「なにくそ」という根性が出て特訓を始めました。
高校時代は自己流でしたが社会に出て給料をもらうようになってからはボイストレーナーについて発声の特訓を続けました。そうこうしてよりマシになって今を迎えています。
このことを通じて「プロに基本的なことを習えば、自分を変えられる」ということを学びました。今でも下手の横好きでライブをしたりしていますが下手なのにライブをする理由はライブに向けて稽古すれば少しずつでもうまくなれると知っているからです。これからも恥を覚悟で人前に立ち精進していく所存です。
その姿から少しでも「エネルギー」を感じていただければ幸いです。
津軽三味線
若い頃(時期は忘れましたが)NHKの歌番組でステージの奥に幕に隠されて仕込まれた数十人の津軽三味線奏者が司会の紹介と共に幕が下ろされて演奏する映像を目にしました。圧倒的な魂を揺さぶる演奏に度肝を抜かれ心を奪われました。
総務部で社内イベントを担当していたリクルート時代、このNHKで目にしたステージを再現したくなりましてチャレンジしました。
津軽三味線奏者にステージの奥に100人並んで演奏してもらおうと企画しましたが集めることができませんでした。
30人ほどの方に出演いただきましたがその生の迫力は圧倒的で参加者の間でしばらく話題になっていました。
2011年の東日本大震災の直後の5月のある日原宿のライブハウスを借り切って被災地支援のチャリティーライブを行った際、師匠の「小山貢山先生」と二人で吉田兄弟の完コピに挑戦したことがありました。
あの時の達成感は10数年経った今でも忘れられません。
魂を揺さぶる音色の楽器「津軽三味線」はエナジャイザーを目指す自分にピッタリだと感じています。
これもまた落語、バンド同様未完成ではありますが少しずつ進化することを大切に取り組んでいきます。
OUTPUT
移住を機に、発信活動に力を入れ始めました。コンセプトは「オープンマインド」。オープンマインドとは、「自分の多面的な性質も認めたうえで、隠さず相手に伝えること。 そして、自分の考えが正しいと決めつけず、違う意見や思想なども認めること。
自分の日頃の活動、生活、思考の主なところを積極的に発信することで、未熟な私の奮闘ぶりを見ていただいて、皆さんが勇気を持ち、エネルギーを高めていただくことができれば本望です。よろしくお願いします。
YouTube
〈今野誠一のimaichiTV〉
北見での活動を中心に、今野誠一の日ごろを動画でお届けします。
地元の皆さんとの交流、地元のイベントなどへの参加、に加えて、日々の活動で感謝したこと、学んだこと、面白いと思ったことなども発信していきます。
私と接点を持ってくださっている
皆さんへの生存報告と
日々の活動の様子を画像と共に
カジュアルにお知らせしていきます。
X(旧twitter)
今野が生活を通して、仕事を通して、気づいたこと、感じたこと、学んだことをつぶやいていきます。
師匠の善本喜一郎の「カメラは持っているだけではだめで、どんどんシャッターを押すこと」という教えを実行すべく、日々の写真を中心に投稿していきます。
組織ラジオ
相棒「高野慎一」さんと共に、組織について語り合うポッドキャストです。200回を超え、ますます油が乗ってきました。まだまだ続けていきます。
note
ふと始めた「note」は途中から「北見移住日記」に変身しました。
YouTubeチャンネル「imaichiTV」と内容は時々重複しますが、北見での活動について発信していきます。
ブログ
今野が生活を通して、仕事を通して、気づいたこと、感じたこと、学んだことを、X(旧twitter)よりも詳しく発信していきます。
一部、組織ラジオと連動します。
PROFILE
私が生まれてから今までの人生を「仕事」「趣味」を中心にお伝えできたらと思い、振り返ってみました。私を知っていただけるきっかけになると嬉しいです。
1958年2月17日 岩手県住田町に男ばかり5人兄弟の四男として生まれる。 後に184cmの丈夫な大男になることが想像できない小さくて病弱な子供だったらしい。 |
1976年3月 岩手県立遠野高等学校を卒業 クラブ活動(ブラスバンド)とバンド活動に明け暮れ、友人とビリから1位2位を争う成績で自動的に就職の道へ。ブラスバンドではホルンを吹き、後に「渋い楽器」と気に入るが、実は人気がなくてそれしか空いてなかっただけ。音楽の趣味はこの頃から始まる。 |
1976年4月 株式会社日本リクルートセンター(現リクルート)入社 〈仕事〉人事教育事業部(お客様の人事教育の支援部門)で仕事のイロハを叩き込まれ、総務部では、縁の下の力持ちの仕事の大切さを学ぶ。銀座8丁目にできた自社ビルでは、直営のクラブとティーラウンジの開業と運営にタッチ。あらゆる経験をさせてくれた会社。 〈趣味〉大学に進んでいた高校時代のバンド仲間が、配属された部署にアルバイト入社してきて、バンド復活。結局、音楽と縁の切れない人生。 |
1984年7月 株式会社リクルートコスモス(現コスモスイニシア)に出向し、後に転籍 〈仕事〉管理部門が経理課しかないところから、会社づくりに関り上場プロジェクトに参画。リクルートグループ初の上場を果たす。総務人事部長、中長期経営計画策定プロジェクト担当部長および関連企業室部長を歴任。人事部長時代には、バブル崩壊時リストラの実行隊長を経験。会社の経営を学び、組織と人事を学び今につながる重要な時期。 〈趣味〉いくつかあった社内バンドの一つに属し(パートはベース)、社内イベントの常連となる。出演できたのは、バンドメンバーのほぼ全員が管理職の「権力バンド(当時そう呼ばれていた)」だったから。 仕事も趣味もエンジン全開の、メリハリのある日々。 |
1998年7月独立起業 株式会社カーペ・ディエム設立 〈仕事〉途中まで、管理部門の業務をワンストップでコンサルティング&アウトソーシング受託のできる会社を目指して邁進していたが、紆余曲折の末、組織変革専門のコンサルティング会社となる。組織変革のコンサルティングと、それに付随した形での幹部・管理職教育、経営層のコーチングを行っている。26年間に関わった企業は約600社。特に力を入れてきたのは「ミドルマネジメントをenergizerにする」こと。提供している管理職研修の別名は「energizer養成講座」である。 数度の社名変更を経て、現在は「株式会社GOOD and MORE」に落ち着いている。 〈趣味〉バンド活動、津軽三味線演奏を継続。2011年の東日本大震災の直後には東京のライブハウスでチャリティーライブを敢行。バンド演奏に加えて、津軽三味線の師匠と吉田兄弟の完コピに挑戦。収益金は、岩手県の仮設住宅建設支援をしていた、坂本龍一氏のNPO「more tree」に寄付。50歳を超え、新しいことへのチャレンジを意識的にしていこうと「誘われたらまずやってみる」精神でいくことにした。「落語」「茶道」「写真」と立て続けに習うことに。特に力をいれたのが、以前からやりたいと思っていた落語で、女流落語家の重鎮古今亭菊千代師匠のアマチュア門下生となり手ほどきを受ける。経営者で落語(演ずる方)を趣味とする「経営者落語協会」の設立を夢としているが、一向に実現の兆しはない。 |
2021年4月25日 北海道は北見市に移住。株式会社GOOD and MOREも同時に本社移転し、現在に至る。 北海道北見市での活動がどのようになるか、乞うご期待! |