episode1
義父と私と家族の物語


遠く離れた北海道北見市にやって来たのは、津別町で一人暮らしをしていた義父に寄り添うためでした。当時は90歳だった義父。ピンピンしていましたが、いつ何があってもおかしくない年齢。この時ちょうどコロナ禍に見舞われており、リモートで仕事ができるようになったことがきっかけで「今しかない!」と移住を決断しました。

私は20歳と若くして結婚しまして、男ばかりの5人兄弟の4男だったことから妻の家の跡継ぎを期待されていました。当時リクルートという世の中でもハードワークとハードマネジメントの会社に入ったことで、そのことを検討する余裕もなく、そのまま5年10年…と過ぎていきました。

帰省した折には、たびたび「まだ帰ってこられないか」と要望されていました。ある時などは「車に乗れ」と言われ連れていかれたのが一回りした山の向こう。「ここからここまでがお前の山だ」と。小さな苗木がビッシリと植えられており「近所の皆さんの手も借りて、お前のために植えておいた」ということもありました。一方では、仕事も軌道に乗り面白くなっている時でもあり、その後独立起業したりして、とても跡を継ぐような状況になく、次第に義父も諦めていったという経緯があります。

跡は継がないまでも、老後の世話だけはしなくてはと言っていた矢先に、8年前に義母が他界し、一人暮らしになってしまいました。完全に機を逸した状態でした。そこにやってきたのがコロナ禍です。前述のとおり、リモートで仕事をするのが当たり前になった瞬間「義父のそばに行くなら今しかない」と、決断をして行動に移しました。

【はじめは一人暮らし】


移住の目的には、広大な北海道の自然の中で、娘の生きやすさを模索するということもありました。移住を決断したあと、すぐに東京の自宅も売りに出し、家族三人で移住するつもりでしたが、結局私一人で先に移住することになりました。発達障害の娘には、自分なりの納得感による決意に時間がかかったようで、妻と娘の移住は1年遅れることになりました。妻と娘が東京で住むための部屋を新たに借りることになってしまいましたが、これも必要な投資だったと思っています。

私は、義父と同居する気満々でいたのですが、実家のある津別町の隣町である北見市に住むことになりました。当時まだ元気だった義父が「元気なうちは一人で気楽にやりたい」という意向だったためです。はじめは津別町で事務所兼自宅を探してみたのですが、妻、娘もいずれ移住をして来た時の暮らしの便を考えて、津別町にも近く、オホーツク管内で大きな街のひとつである北見市で部屋を借りることになりました。

さて、ついにここから義父と私の暮らしの始まりです。毎週末に(私の仕事の関係できっちり毎週というわけにはいきませでしたが…)、津別町の義父のもとに通って買い物を付き合ったり、一緒に食事をしたり、時にはドライブを楽しんだり、義父の家のことを手伝ったりと、寄り添う生活が11ヶ月続きました。

そんな風に義父と私が共に過ごし、移住もうすぐ一年を目前にした2022年の3月。ついに妻と娘が北見市にやってきました。春の足音も聞こえないない、まだ雪の残る寒い季節のことです。

◆YouTube(義父との生活)

episode2
妻と娘と私のオホーツクライフ

【北見市の暮らし】


当時は特段「北見市」に思いを持って移住したわけではありませんでした。前で述べていたとおり、義父の住まいに近く利便性が良い街を求めていた中で北見市が最適でした。

私が移住してすぐの5月のこと。当時まだ稼働していた「FMオホーツク」に出演させていただく機会がありまして「北見の印象はいかがですか?」という問いかけへの答えに困ったことを覚えています。自宅近くの商店街はシャッター通り化が進んでおり、聞けば人口も減少傾向との典型的な地方都市の状況に、当初はあまりいい印象がなかったのが正直なところです。

何しろ当初は妻と娘が東京に居たために、家事全般も不慣れな中自分でこなさなくてはなりません。仕事もそれなりにあったことから、観光や地域に目を向ける余裕もなく、恐らく魅力である大自然に接することもできずにいました。

そんな中、妻と娘が北見市へ移住し、さらに1年後、脳梗塞で倒れた義父が市内の介護施設に入居が決まりました。

次第に時間や心にも余裕が生まれ、食事に行く店、買い物に行く店とも交流が始まり、皆さんが大いに歓迎してくださっていること、人間的な触れ合いが自然にできることなどから人への魅力は大いに感じることになりました。

【身近な幸せ】


私が住んでいるマンションは「マルコ歯科」という歯科医院さんで、家族的なつきあいが徐々に深まってきました。一番通っている「寿司の小林」では、大将以下、スタッフの皆さんの誕生日を教えてもらって、毎年お祝いをするようになりました。

この地域で生活するには車が必要だというので、飛び込んだ「北見トヨペット」さんでは、愛車のRAIZEが納車になる際には、自分から企画を申し出て、営業マンの方と受付の方と店長さんに参加してもらって「納車式」を執り行いました。感謝状を作らせていただいて贈呈し、100名ぐらいという従業員の皆さんで召し上がっていただくべく「赤飯饅頭」という縁起物の和菓子を全員分持参したりして、人間関係が深まっていきました。

さらに、近所のお酒屋さん、文房具屋さん、花屋さん、等々人間関係が広まり、東京出張からの帰りにはお土産を買ってきたり、誰かからもらったもののおすそ分けをお互いにしたりという具合に、商店街の皆さんとの交流が楽しみになっている今日この頃です。

今後は、もっと北見や網走の大いなる自然に触れる機会を作っていきたいと思います。

◆YouTube(RAIZE君納車式)

◆YouTube(寿司の小林)

【これからの生活】


移住生活もすっかり落ち着いてきたので、生活のスタイル、仕事のスタイルをもう一度考えなおして、地域との接点をもっと豊かに持つことができればと思っています。現在はどうしたらそれが実現できるか…を私自身日々思案しているところです。東京には戻らないつもりで来ていますので、何とかして地域に根差して貢献していければと思っているところです。