久々に生のオーケストラを堪能した。北見に来て初めてである。なんと戦争(あえて戦争と言う)の最中にあるウクライナから「ウクライナ国立オデーサ歌劇場オーケストラ」の来日するというではないか。それでなくても滅多にオーケストラの公演がない北見である。ビックリしながらも一も二もなくチケットを申し込んだ。
ウクライナの国歌演奏に涙した
オーケストラの公演は、パンフの表紙にある通り、正に「魂の音楽」そのものだった。
アンコールは3曲やってくださったのだが、一曲目は「ウクライナ国歌」だった。
客席にいた、このオーケストラの常任指揮者と声楽家がステージ上に呼ばれて、その方々による演奏だった。
説明をうまく聞き取れなかったのだが、恐らくそうだったと思う。
途中で指揮者の方がウクライナ国旗を開いて客席にかざしながらの演奏には、涙がこぼれた。

マエストロ吉田裕史氏の思いで実現した日本公演
日本でのこの公演は簡単なことではなかったとのこと。
何しろ出国もままならない戦争下のウクライナ。文化的活動として、特別な許可を得ての来日。
そして、50人の楽団員の移動と宿泊の費用の確保。
クラウドファンディングも活用してのことだと、当日に知った。
そうと知っていれば、なにがしかの寄付はさせてもらったのに。
この公演の実現に奔走した、ウクライナ国立オデーサ歌劇場主席客演指揮者の吉田裕史氏の思いで実現したことを、当日のパンフレットで知った。少し長くなるが、氏の挨拶文を引用したい。
〈パンフレットの吉田裕史氏のご挨拶文より〉
私は2021年にオデーサ歌劇場でプッチーニの「蝶々夫人」を指揮し、それがこの劇場の音楽家たちとの最初の出会いでした。そして2023年9月、戦争が続くウクライナへ再び足を運び、「ラ・ポエーム」を指揮しました。
その時、私は忘れがたい光景を目の当たりにしました。
停電が続く中、限られた時間で行われるリハーサル。鳴り響く空襲警報。演奏を一時中断せざるを得ない状況。それでも楽器を手放さず、音楽を奏で続ける演奏家たち。彼らにとって音楽は、ただの仕事ではなく、生きる証であり、心の支えでした。
演奏開始の前、私はオーケストラピットから客席に向かって挨拶をしました。その瞬間、劇場の最後部に何十人もの兵士たちが立っていることに気づきました。彼らは戦場から束の間の休息を得て、このコンサートに足を運んでいたのです。
終演後、彼らは舞台に上がってきて、涙を浮かべながら私の手をしっかり握り、こう言いました。「美しい音楽をありがとうございます!」その瞬間、私は強く思いました。「この魂からの音楽を、日本の皆さんにも届けたい!」
そして今日、その願いが叶いました。日本の皆様に、この音楽をお届けできることを心から嬉しく思います。

〈北見公演が実現した理由〉
ウクライナ国立オデーサ歌劇場オーケストラの日本公演の会場のひとつに「北見」がなぜ加わっているのか。
9千キロともいわれる距離を40時間もかけてやってきた楽団員の皆さん。そこからさらに1,000キロ以上の北見に来てくださった。
日本公演の実現に奔走したマエストロ吉田裕史氏の生まれ故郷が、なんと北見市常呂町であるという。
この日、この公演を観に、聴きに来ることができた自分にとって、何たる幸運な偶然。
そして、この公演を日本の皆さんに、そして北見市で実現しようとした吉田裕史氏の情熱に感謝である。
セットリスト
今回のセットリストは、写真の通りである。
印象的だったのは、日本ではあまり演奏されることのない、ウクライナの作曲家たちの作品に触れることができたこと。吉田裕史氏のパンフレット挨拶文には、こう書いてある。
「日本ではまだ馴染みのないウクライナの音楽ですが、その旋律には、誇り高く、美しく、そして力強い魂が宿っています。どうか、今日の演奏を通して、ウクライナの音楽文化の深みを感じていただければ幸いです」
本当に、誇り高く、美しく、力強い魂が宿っている曲だったし、何よりその演奏には、故郷ウクライナへの思い、そして音楽を通じて平和を願う心が込められていた。

〈アンコール〉
・ウクライナ国歌
・イブニングセレナーデ
・ウクライナ舞曲集より 第4番 No.4
※「イブニングセレナーデ」は、ウクライナの作曲家であるヴァレンティン・シルヴェストロフ作曲
※「ウクライナ舞曲集」は、ウクライナの作曲家であるレフコ・コロドゥプ作曲
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